ラマナ・マハルシの本を読んでいると、〝サハジャ〟という言葉が良く出てきたりします。ラマナ・マハルシの本に限らず、インドの覚者・聖者に関する本にはよく登場するかもしれません。サハジャとは〝自然な〟という意味なのですが、大抵 […]
投稿者: 山家直生
〝月をさす指〟の先に、月が見えないのは何故か?
禅には〝月をさす指〟という言葉があります。月が真理なのであり、禅師はその月を指さします。でも、ともすれば多くの人は、月ではなく、その指に注目してしまいます。〝月をさす指〟という言葉は、そのことを戒めるものです。「指そのも […]
自分を赦すことは、他者を赦すことなのか?
〝自分を赦す〟という言葉があります。まさしく、苦しみが持続する原因は、自分を赦していないからです。でも、〝自分を赦す〟とは一体どういうことなんでしょうか? そこには様々な解釈があります。そのひとつに、「〝自分を赦す〟とい […]
〝悟り〟という言葉は、とてもあやふやなものです。〝悟りの境地〟という言葉は、それに輪をかけて、あやふやなものかもしれません。「境地」という言葉を辞書で調べてみるならば、「体や心が置かれている状態」とあります。であるなら、 […]
全ては自分が創造した世界なのか?
「全ては自分が創造した世界」と言われることがあります。確かに、その通りだと言うこともできます。でも、その〝自分〟とは一体何を指すんでしょうか? ひとそれぞれに〝自分〟というイメージがあり、その解釈次第によって、「全ては自 […]
探求を始めると、探求の世界はどうやら、大きく2つのグループに分かれているようだと気がついたりします。「世界を救う」というグループと、「世界は実在しない」というグループです。大乗仏教やサーンキヤ哲学は、「世界を救う」という […]
今回は、ハートに意識を向けることと、「私は在る」ということの違いについてお話したいと思います。この2つ、同じようなものなんじゃないかと感じる人は意外と多いのではないかと思います。うちの妻からも、「それって同じことでしょ? […]
悟りの段階には、大きく3つあると思います。でも、意図的に目指すことができるのは、おそらく、2つだけです。3つめの最終的な悟りは、理屈的に、目指すということはできないはずです。 世の中では、瞑想中の状態を何段階かに分けて〝 […]
今回は、独断と偏見で、ニサルガダッタ・マハラジの名言をピックアップしてみたいと思います。 私が偽りなく言えることは、「私は在る」だけだ。それ以外はすべて推測だ。 『I AM THAT 私は在る』(ナチュラルスピリット刊) […]
僕は、マインドフルネスをあまり勧めていません。僕自身、マインドフルネスを実践してきてはいません。極端なことを言えば、悟りを目指す人は、マインドフルネスをやらないほうがいいと思っています。でも、世の中では、マインドフルネス […]