カテゴリー
世界は実在しない

あなたはこの世界に生まれたのか?【自我の芽生えを超えて】

ラマナ・マハルシは、「あなたは生まれたのですか?」と言うことがあります。この言葉、ちょっと究極的ですよね。そんなことを言われたなら、何も言い返せないわけです。「当然、生まれたと思っているけれども、それは勘違いだということ […]

カテゴリー
悟りと真理について

悟後の修行は必要なんでしょうか?

「悟後の修行」という言葉があります。 悟った後にも、修行は続けられるべきである、という意味合いで使われることが多いのではないかと思います。 僕は、この言葉の意味が気になっていた時期がありました。 「なぜ、悟ってからも修行 […]

カテゴリー
ラマナ・マハルシ

ラマナ・マハルシの言葉【瞑想は自我を保たなければできません】

今回は、ラマナ・マハルシの言葉を、独断と偏見でピックアップしてみたいと思います。 「瞑想は自我を保たなければできません」という言葉です。 どちらかといえば地味な言葉だと思います。 ラマナ・マハルシと言えば、「私は誰か?」 […]

カテゴリー
苦しみ

避けられるなら、苦しみを避けたっていいんじゃない?

僕はこのブログの中で、「『苦しみ』と『退屈』を避けないこと」と言っています。 (関連記事:「苦しみ」と「退屈」を避けないこと) 意外にも、「退屈を避けないこと」ということは受け入れられやすいように感じています。 でも、「 […]

カテゴリー
意識 時間・空間

空間が意識であるかのように感じられるメカニズム

「意識(神)とは空間のことである」と言われることがあります。 個人はこの体に限定されているけれども、意識はこの体に限定されているわけではなく、それはこの空間全体に広がっているということですね。 宇宙そのものが意識であり、 […]

カテゴリー
時間・空間 退屈

退屈な時間はなぜ長く感じられるのか?

退屈な時間って、長く感じられたりしますよね。 例えば、電車に乗って1時間ぐらい移動する場合、何もせずにジッとしていられる人は少ないでしょう。 スマホを取り出してニュースをチェックし始めたり、イヤホンを取り出して音楽を聴き […]

カテゴリー

只管打坐(しかんたざ)にこだわるなかれ【禅病とは?】

禅の曹洞宗では只管打坐(しかんたざ)が重要視されているのではないかと思います。 只管打坐とは、ただ、ひたすらに坐ることです。 あれこれと考えずに、ただ、坐禅し続けることです。 禅には禅問答という言葉もあります。 言葉を使 […]

カテゴリー
悟りと真理について

悟った人の行動を真似するべきか?【自分を他人だと悟る】

子どもってよく親の真似をしますよね。 それは人間に限らずに、あらゆる動物に言えるかもしれません。 毛づくろいをする親猫を見て、子猫も毛づくろいを始めたりします。 まるで、DNAレベルで真似する働きが組み込まれているかのよ […]

カテゴリー
ラマナ・マハルシ 悟りと真理について

バーチャルリアリティの中心で、「私は誰か」をさけぶ

今回は、バーチャルリアリティの世界を舞台に、ちょっとした思考実験をしてみたいと思います。 「レディ・プレイヤー1」という映画があります。 スティーブン・スピルバーグ監督の作品で、荒廃した近未来(2045年)を舞台にしてい […]

カテゴリー
瞑想

なぜ、瞑想難民になってしまう人がいるのか?【瞑想は万能ではない】

瞑想をすることで、反対に不安が増してしまう人のことを瞑想難民と言うそうです。 マインドフルネス瞑想が流行ったあたりから出てきた言葉みたいですね。 僕は、そういった人は反対に瞑想をするべきでないと思っています。 でも、大抵 […]